ルーティンが描き出す変化-「食べ淡」blog の記憶-
「モーニングルーティン」の動画が人気とのこと。
わたしのモーニングルーティンの中には、田中宥久子さん考案の、「造顔マッサージ」があって、必死でやっているけれど、家族によると、瞬間瞬間で、ものすごい形相をしているらしい。
20年前に遡る。
2000年代初期、わたしは学生で、パソコンと、多くの自由時間(主観)を手にしたばかりの時期を過ごしていた。
のちに、日本のブログ創生期/黎明期と言われた時代。
そういえば、「旧石器時代」って、「新石器時代ができてからついた名前」で。当たり前だけど。
「彼こそ、後(のち)の、〜である」という、時代劇のナレーションも、グッとくる。
夢がある。
「後(のち)の、〜である」、を先取りして、今、その気分で行動したりするのを
推奨している本もたくさんある。
夢がある。
それで、(それで?!)
当時のわたしは、ネットサーフィンが楽しくて仕方がなかった。
その中に、「食べたものを淡々と記録するよ」(管理人・大島健二さん)という有名なblog(2003.6-2006.10)があって、今はもうサイト自体がないようだけれど、のちに、「生活の記録blog」のジャンルを確立した、きっかけのblogとも言われているらしい。
通称、「食べ淡」/たべたん。
タイトル通り、食べたものを淡々と記録していくスタイルで、文章も、「メニュー名」と「ごちそうさま」、ほぼこれだけ。
それが。
直接は知らない人の食事の写真が。
癖になるのだ。
わたしも惹かれ、時々見に行っては、写真の中に写っているコップと同じものを買ったりしていた。
ルーティン。
コツコツと、淡々と続いていく。
それがある日、
そこに、「いつもとは違うこと」が起こる。
ルーティンが描き出すそれは、時に強烈で、印象的。
一人分だった食事が、ある日を境に二人分になっている写真。
地震で被災して、避難先で食べたと思われる食事の写真。
これまでの毎日と同じフォーマットの中に現れる変化に、それまで毎日見てきたわたし達は、ハッとする。
そして、食べ淡のblogは、「結婚しました」という、ルーティンにはないコメントが添えられた記事で、ひと区切りになった。
その終わり方が、鮮やかでした。
継続することで見えてくるもの。
終わってから気づくこと。
今は意味がないように見えても、
後からにじみ出てくる意味もあるかもね。
それから、「変化を俯瞰する」と、「良いことばかり」でも「悪いことばかり」でもないように、思えてくること。
わたしの今日は、後からみると、何時代になるかな。
定点観察で思い出したCM。
東芝のLED電球のCM/YouTubeより
「食べ淡」にインスパイア(笑)されて、
飲んだ飲み物を淡々と掲載するInstagramを
開始したものの、
淡々と継続するのはやはり難しいうえ、
時々思い出したように、
詩のようなものを投稿しています。
ブレブレか。
次回は、「職場の小籠包」か
「12月、ホテル、キラキラ、暗号」、
というタイトルか、そのどちらでもないタイトルのブログを
書きます(自分との約束)。
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