まな板の上の鯉の「ニーズ」

新月の足音がします、少し体調に異変を感じる
ふたださとみです。
こんな時はもうこの波に乗ろう。


前回のブログのタイトル予告、「日本が小さい。」は、「ずん」の飯尾さんの、とある番組での発言。

番組に登場した、「とても魅力的で、その魅力を大胆に表現している女性」を見ての、ほめ言葉コメント(とわたしは解釈しました)でした。
確かに、「日本的な奥ゆかしさとか恥じらい」とはまた別の方向での魅力を持つ方で、今にも踊り出しそうな感じというか。その女性の魅力のすごさを、瞬時に「日本が小さい」と表現する、巧みさ。枠からはみ出るほどの魅力。
「自分が何かの枠に収まっているかどうか」を気にするのではなくて、好きに表現してみて、枠からはみ出たのならそれも楽しめばいいじゃない、ということかも、と、そこまで解釈を拡げてしまいました。
何が言いたいかというと、飯尾さんが好きなのです。

 

本題。
ヘアサロン、病院、マッサージ屋さん、歯医者さん、脱毛サロン、わたしの体の一部に触れて色々と施術をしてくださる職業の皆さん。常々、利用させてもらう側として、自分で自分に「ワガママだよ〜何という壮大なニーズよ〜」と突っ込んでいたことがあって。
感謝を込めて書いてみたいと。


やはり身体に触れてもらうにあたり、「恥ずかしい」気持ちがどこかにある。


→「この方達にとってはお客さんの一人だからそんなに自意識過剰にならなくていい」と
思うと大変楽なので、没個性、「没わたし」の気合いで臨む


→まな板の上の鯉になったつもりで委ねる


→恥ずかしさに慣れてきた段階で、「没わたし」のままでいると寂しくなる

=機械的に処理してもらうと恥ずかしくなくなって楽な反面、寂しくなる・なぜか虚しくなる

→温かい対応をしてもらえるとそれに感激して帰る


「機械的な対応」と「温かい(機械的でない)対応」を同時に求めている…

ワガママね…
なぜ寂しいのか…なぜ虚しいのか…

まな板の上の鯉になって、「委ねる」試みは、今のわたしのテーマだけれど、「委ねてみた」後の気持ち、もう少し掘り下げてみよう。

何はともあれ、プロの皆さん、いつもありがとうございます。


次回は「迷ったらストーリーを見にいこう」というタイトルのブログを書きます