「女が癒し、男が癒される」?-ことばとマーケティング-

「にゅうめん」は半分優しさでできていると思っています、ふたださとみです。

 

昨日食べた「にゅうめん」にもわたしは癒された。
自分の心の中に、癒しは度々起こる。
深いものから浅いものまで、熱量の大きいものから小さいものまで。
甥っ子の仕草にも、風鈴の音にも、焼肉の帰り道にも、癒されている。

 

他の誰かを「癒したい」または「助けたい」と思う時、それは自分or過去に出会った他の誰かを「癒したい」「助けたい」時なのかもしれない。投影。
投影も深めれば深めるほど奥が深い…
一周まわってシンプルなのかもしれない…
いつか自分のことばでまとめられたらいいな…


そんなことを考えていたら、1990年代後半から続く、「癒し」ブームの中で、
「癒し」ということばとマーケティングについての論文を見つけて面白かったので、

カウンセリングの世界でいうところの「癒し」とは違う切り口ではあるものの、
ことばとして日常的にも「癒し」を使う以上、少しまとめてみたくなった。
ことばの定義というところでも哲学徒の血が騒ぐ。
懐かしのキーワードとともにどうぞ。

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以下の引用・要約(太字)は、
松井剛,「言語とマーケティング:「癒し」ブームにおける意味創造プロセス」,『組織科学』 Vol.46 No. 3:87-99.2013.


・ブームの発端は、「AIBO」と坂本龍一の「エナジーフロー」という曲の流行


・「癒し」とい うキーワードを用いたマーケティングは,各業界が直面する環境変化に対応するために行われた. (例:法人需要減の高級ホテルでの女性向け「癒し宿泊プラン」、CDが売れなくなった音楽業界の「癒し系音楽」のコンピレーションアルバム、少子化ゆえ大人向け商品にシフトしつつあった玩具業界の「たれぱんだ」、癒し系と言われる女性芸能人)

 

たれぱんだ…買った!
癒し系音楽のコンピレーションアルバム…買った!
ジョージアのCMで飯島直子が笑ってた!

 

→このような、各業界を超えた「癒しビジネス」形態の「模倣」について、


・こうした模倣の成功はマスコミにより報道され,その報道がさらなる模倣を生み出すという循環が発生した.
・マーケティングの大規模な模倣の連鎖の結果として,「癒し」の意味が大きく変わった.


と。そして論文の中では、「癒し」という言葉の使われ方の分析結果をまとめると、
共有された「認知の変化」が3つある、とのこと。


第 1 に,「癒し」をめぐる主体性の変化である.人間が主体的に自ら抱える病気や悩みを「癒す」のではなく,誰かによって与えられる「癒し」を求めるという,より受け身的な構図が成立したことである.それは多くの場合,消費を通じて解決されるものである.

・第 2 に,ジェンダーによる認知の分化である.男性の意味世界においては「女が癒し,男は癒される」という構図が,女性の意味世界においては「消費が女を癒す」という構図が成立した.

・第 3 に,「癒しの世俗化」である.こうした構図の成立の過程で「癒し」は,精神的,宗教的なものから物質的,商業的な世界へと移行した.

 

マーケティングとことばの相互作用。
さらに、『こうした癒しを求めるということは、みんなが疲れているということなのかも』という説明・理屈づけが、マーケティングに正当性を与えて、その相互作用を強める、と、まとめられている。

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「消費を通じて解決される癒し」の話で、本来の意味での「癒し」からの変遷がよく分かる。

カウンセリングの世界での「癒し」は、本来の意味の癒しに近いけど、
結果的に「心地よさ」や「ゆるむ感覚」などが得られるというところは、時代も世界も超えて共通。

 

でも確かに、いつの間にか、「健康」だけではなくて「ホテル」にも「スパ」にも、
消費生活で色々なものに癒しを感じ(させ)られるようになってきている。

広告や世間によってそう感じさせられる…。それが嫌で、「クリスマスは広告業界の仕掛けだから」と言って一人ぼっちの
クリスマスを平気なフリをして切り抜けようとする試みをしたことが、わたしはある(恥)。
こうなると、消費者としては「踊らされてなるものか論」になってくる。それ自体が踊らされているけれど。

クリスマスもスパも、入口はどうであれ、
「自分が何を感じたか・自分が心地よいか」を軸に楽しくありがたく利用させてもらえばいいよね。「踊りたくて踊っているわたし」を目指して(しかし果たしてそれは可能なのか…)。

 

そして、男性と女性の違い。
「女が癒し、男が癒される」…、
年代的にわたしはまだ今よりもさらに未熟だったので詳しく知らないけれど、そんな価値観がかなり浸透していた時代があったし、今も価値観の一つとして残っている気がする。

「このことばをどう感じるか」で、自分の価値観も見つめられそう。
心理学の世界では、男女間の癒しについて、また色々な捉え方をするような気がするものの、
この「消費生活的・世俗的な癒し観念を通して出来上がる男性像」が、時々女子の心を苦しめているような気がする…。
でもまたそれから時代は色々変わったので、女子が男子に癒してもらおう〜、という価値観も浸透している(それもマーケティングが作用しているのか)。

 


自分を癒したい時も自分軸で。

そして誰かとの間に「癒し」を考えるときも、
「自分の見方それ自体を見てみる試み」(投影・観念チェック)、そして自分軸で、
「わたしもあなたも、独立にも相互にも、癒される」へ。

今日は、マーケティングから自分軸にたどり着いた、ような気分になったのでここまでです。

ふたださとみでした。

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