自己肯定感を「切り分ける」-落ち込んだ時の苦い感覚で-
カレーを圧力鍋で作ります、
ふたださとみです。
「今から食材に圧をかけるわ」というセリフが、圧力鍋を買った当初に流行りました。自分の中で。歪んでいるな。
ついに。「自己肯定感」をタイトルに掲げてしまったー。ああ、壮大。ずっと勉強中。
図書館で、子ども向けの哲学の本を借りてきたのだけど、一言一言が刺さって痛い。
『自分って、なに?』オスカー・ブルニフィエ:作/西宮かおり:訳/重松清:日本語版監修
この本の中にある、色々な問いを読むうちに、自己肯定感について書きたくなったのかも。
自己肯定感。
普段は空気のようで意識に上らない。
ひとたび意識すると、言語化して手に取って扱えるような、やはり扱えないような、不思議な感覚。
意識せずとも、自分らしくいられる状態が、「高めキープ状態(もともとの生まれた時のような状態・初期設定)」とも言われる。
『平常運転の自分・おかげさまで何事もなく1日を終えた自分、が自己肯定感をキープしている』の、その先へ。
『できない・やらかした・みじめだ・自分には何もない』、そう感じる自分へ。
そんな時こそ自己肯定感を確認しよう。
初期設定で「高めキープ」状態らしいから。無理をしなくてもいい仕様。
カレーを圧力鍋で作っても、最後の味付けで上手くいかない。
精一杯、段取りをしても、予想通りにいかない。
そんなつもりで伝えたわけではないのに…、相手とのコミュニケーションが上手くいかない。
仕事でPDCAを回しつつ、報告連絡相談からの一人反省会。
あらゆる場面で「そういうとこだよ、わたし」とパターンを発見してはため息。
そんな時の、苦い苦い、できれば避けて通りたいモヤモヤがやって来たら、
「何かができる/できないこと」「何かがある/ないこと」と、「自分の存在そのもの」は、何か関係ある?
…あ、関係ないんだった。
と、一人でつぶやいて、そのモヤモヤの中からまず自己肯定感を切り分けてみる。
モヤモヤはむしろチャンスで、自己肯定感を初期設定に戻すための確認の良いタイミングなのかな。
その後、
「適当に」落ち込んで、「適当に」次に活かし…、てもいいし、もう別にいつも活かそうとしなくてもいい気になってきた。
仕上げに、少しでもできていることは自分で自分を褒めて、頑張ったことも温かく労って、やろうとしただけでもすごいと声かけをする。
「何かができる /できないこと」や「何かがある/ないこと」は、それ自体は自分の存在に影響はしないけれど、結果的にいつの間にか、そのままの自分のその形でいることが、世界を救っている、ぐらいの勢いらしい(伝聞)。わたしもまだ体感しきれていないため、色々実験中。
「ないこと(と自分で仮定していること)」が「ある」、それが世界を救う、周囲の誰かの力になる、という感覚。
自分からしたら、「ない」ものは「ない」から焦りしかない。しかも他の人には「ある」ように見えるのに。
しかも、他の人に「ある」ように見えるものこそ、自分が欲しいものだったりする。
でも、そもそも自分にも「ある」からこそ他人の中にも「あるように見える」かもしれない、ということもある。
だからもう、あってもなくてもいいか。
あってもいいし、なくてもいい。
あるところを活かして自分らしく楽しく、が理想。
ふたださとみでした。
今日のSFOタイトルは、
「ないかもしれないこと」が「ある」、のままで
でした。
SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。