「思い込み」はどこで「知らされる」か

セミの鳴く声が賑やかです、
ふたださとみです。

「念」の字が正しく見えなくなってきた

「思い込み」と「観念」と「固定観念」と「既成概念」と「ビリーフ」と。別に、それぞれの語義を細かく調べたかったわけではなかった。考えるうちに自然と調べる流れになった。もう「念」の字が変に見えてきたし。ゲシュタルト崩壊。

今日のブログは見出しをつけてみた。



「思い込み」と聞くだけで、ネガティブなイメージを持ってしまうのも、わたしの「思い込み」。
「思い込み」は、わたしを助けてくれることもあります。



「思い込み」は、自分の中にあるはずなのに、意外に、意識することは難しくて、というか、「意識した時点」で「心の深いところにある思い込み」とは少し違うものになっていることもあるようだ。

大抵、人の「意識」は頑張り屋さんで周囲をよく見ているので、さりげなく人や状況に合わせることもできるのかもしれない。
そうやって大人になった私たち、えらいよね。

もっと深いところにある「思い込み」は、自分の周りに「起きている」ことで「知らされるもの」なんだな、と。あ、これも思い込みかも。


・自然と、大切な人やお金を自分から遠ざけるような結果に持っていったり。
・どこか、大好きな物や人には自分を近づけないようにしたり。
・うまくいきそうで、うまくいかなかったり。


心の底にある、「快・不快」「あれがしたい・これがしたい」とは、ずれるような結果が起こって悩む時には、「自分を幸せにしない思い込み」が自分の中のどこかにあるのかもしれない、というお知らせ、らしい。

「当たり前すぎる前提」を考えるきっかけ

「当たり前すぎる」ことはあまり考えない。
だから、自分を幸せにしない思い込みがあるかもしれないということを考えるきっかけをくれるのが現実で、「起きていることは全て正しい」、のだとしたら。

幸せじゃない、生きづらい、と感じた時には、

「もしかして、自分は幸せになってはいけないと思っている?」と考えるタイミング。

…そう思っているかどうかなんて考えたこともなかった。

その他にも、

 『もしかして、「〜は〜すべきだ」と思っている?』と考えるタイミング。

…そう思っているかどうかなんて考えたこともなかった。

何らかの思い込みを発見した時。それは、「犯人はお前だ」と言われたような衝撃がありつつも、「ここからどうするかはお前次第だ」と言われたような安心感もある。

その思い込みを持ち続けていることは、自分を幸せにするのか?、そうでないならどうにかしよう、と自分で決めることができるから。


他人や状況に意識を向けるのもいいけれど、自分にしか決められないこと・自分こそが自分にしてあげられること、がたくさんある、そんな気がしてきた。

あなたにしか決められないこと・あなたこそがあなたにしてあげられること。
毎日、ご自愛ください。

ふたださとみでした。


「ない」と「わたしが思っているもの」は、「わたしには」ずっと「ない」世界、が続くとしたら。

今日のSFOタイトルは

原作・演出・出演=わたし、だとしたら

でした。
SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。
「主観と客観」、「カウンセラーブログ」を意識する練習をしています。

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