ヨガでゆるむ-体と心の声を聴く-

今日は目覚めがいつもよりも軽い気分と軽い体でした。
ふたださとみです。

 

いつもよりも軽い気分と軽い体の理由、それは、昨夜、カウンセラー講座のお弟子仲間の児玉キャロさんのオンラインヨガに参加したからです。

 

楽しかったー。
画面の向こうのキャロ先生、とても美しく素敵でした。

 

自分の身体も心も、知らないことがまだまだたくさんあるなあ、そう思った。

 

「誰か他の人(=先生)がいて、フィードバックをしてもらえる・動きの始まりと終わりの合図をもらえる」というのはありがたい。「こう動かすとこんな感じなのかな〜」と頭で考えることや、1人きりでささっと動かしてみたりすることとは違う次元なんだな。

「この関節ってこっちの方向にゆっくり曲げるとこんな感覚になるのか!!すごい!!」という発見がある。人生で1回もその感覚を味わっていないわけではないのに、何度でも新しく感じるのは、どうしてなんだろう。でもだからこそ、繰り返し繰り返し味わえるのかも。そういう意味でも身体と気持ちは似ている。

そして「左右差」。これは「左右同じ動きをしてみて初めて分かる」ことで、わたしは1人で身体を動かすと右も左も分からなくなることがあるので(←比喩ではなく)、リードしてもらえると分かりやすい。
行事で写真を撮る時とか、わたしは絶対にどちらかの肩(どちらなのか自分で把握していないところがまたアレ)をカメラマンの方に下げるように言われて下げるのだけど、その時の鏡のない状態では、自分の感覚としては「絶対この肩の感じおかしいよ!」と思うところまで下げられたりして、自分が思っている以上に左右差ってあるのだよね。

 

オンライン中、
「うぉーーーー!のびてるー!」
と心の中で何度思ったでしょうか。そしてキャロ先生、たくさん褒めてくれる。
「わたし、今、体勢、できてる?」と思ったタイミングで褒めてくれる。すごい。

 

わたしは、体育の時間が嫌いな子でした。
投げるも走るも跳ぶも、どの方向の運動も全く上手くできなくて、恥ずかしいばかりで。だから、楽しくなくて。あ、泳ぐのは、スイミング教室の先生が好きだったから少し頑張れたかな。

自分の身体がどうなっているかの把握もイマイチできていないし、各部位の可動域小さくなる⇄身体硬くなる、思うように動かせない、楽しくない、のループで、

 

体力テストの「前屈」で、そもそも0センチに到達しない。マイナス。

反復横跳びを、「よーいはじめ!」で皆とは逆方向から始めてしまい、そのことが面白くて集中できない。すぐに自分よりスピードの速い人が自分と同じ方向に揃ってくるが、それは相手が倍速だからなのだろうかとか考えてしまってさらに集中できない。

跳び箱が怖い直前で止まってしまう。

ダンスは自意識過剰が発動して恥ずかしくなる

長縄跳びでいつ入っていいかがずっと分からない。

 

という子でした。だから、「ヨガ」も、「わたしのような人にはできない、多分恥ずかしい思いをするもの、おしゃれな人がするもの」というイメージがずっとあった。でも「呼吸は大事」というのはいつもどこか頭の中にあって気になっていて、今年に入って仕事の面で少し余裕が出てきてからは、何度か体験をしてみたりしていた。

ヨガもきっと奥が深くて、「柔軟性」だけを重視して考えるものではないのかもしれないけれど、キャロさんにも、今回、事前に思わず伝えたくなったのは(実際伝えた)、「わたしは身体が硬いんです」ということ。

でも昨日、全く大丈夫だった。キャロさんがしっかり調整しながらやってくれたというのが大きいけれど(このイベントの案内でも身体かたくても大丈夫な雰囲気を感じさせてもらったし)、「どこをどれだけ動かすか」よりも「どこに意識を向けていくか」を大切にする雰囲気がそこにあったからだと思う。

自分の身体の感覚は自分にしか分からないから、自分が意識を向けてあげると自分が喜ぶ。そういう意味でもやはり気持ちと似ている。

気持ち。心。心もほぐれる。
ヨガの中でキャロさんが語りかけてくれたことばも、じんわり心が温かくなるものばかりだった。

何かが「良い」とか何かが「悪い」とか、そういう考えがふっと飛んでいくような。

 

自分の身体と心の声を聞いてみよう。聞いてみて初めて、もしかしたら、「あまり聞いていなかったな」ということが分かったりする。自分のものなのに。自分のものだから。

 

ふたださとみでした。

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