魅力を伝えること-自分の壁を越えたい-

 

朝の楽しみに取っておいたパンを家族に食べられていました。
争いの予感です。ふたださとみです。


先日はカウンセラーのお弟子さんの講座でした。
今回は日程の都合でオンライン参加でしたが、やはり楽しくて学びの多い二日でした。感謝。


特に、今回のテーマセッションを通して自分の魅力を伝えてもらった時には、純粋に嬉しくて(セッションのお相手に感謝)、「悩みのあるところは魅力のあるところ」と、このブログを書きながら自分なりに作ってきたフレーズ、(言い回しはまだまだ拙いし特段キャッチーでもないと自分で思うのですが)、「まさにこの、悩んできたことはそこに宝物のある証なんだ、ということをわたしも表現したかった…」と改めて思いながら師匠のお話を聞いていました。



それで、講座が終わってから少し振り返って感じたこと。
2週間ほど前に参加した、別のセミナーで、自分の小さい頃の、あるエピソードを参加者の皆さんにシェアして聞いてもらって、それで得た気づきとつながった。

わたしが、人の「魅力を伝える」時に感じる気持ち。もちろんお相手の魅力はたくさん感じている。投影の法則で言うと、そうやって、わたしがお相手に感じた魅力は、わたしの魅力の要素としてあるのかもしれない。この現象自体はうれしい。受け取る。うれしい。受け取る。

でも、それを「実際に私が相手に直接お伝えしてもいいのかな」という気持ちがどこかに少しあって。「どうして?伝えようよ」とも思うけれど。どこか「おこがましい」的な。だから、自分がおこがましいと思いにくい相手、例えば職場の後輩には素敵なところをじゃんじゃん伝えられたりする。それってでも、どこかで相手を見下しているというか…?

それでも、昔よりはだいぶ色々な人に伝えられるようにはなってきたけれど。



そのセミナーでシェアさせてもらったわたしのエピソードは、小さい頃、お友達の素敵なところを、そのお友達のお母さんもいるところで言ったわたしを母がものすごく怒ったこと。「子どものくせに生意気」と思ったんだと思う。家に帰ってから、ものすごく怒られた。子どもだったから、わたしの言い回しも今よりずっと拙かったかも。それは本当に「生意気」だったのかもしれないと思う。

以来、「お母さんの心の中に起きていたことを考えてみる試み」や「生意気は悪いことなの?、等の捉え直しの試み」、「もう今わたしは大人なんだから、という思考」も全部超えて、「相手の素敵なところについて、相手に直接私が言ってもいいんだろうか」というブレーキがどこかでかかっていました。小さい頃に「怒られた恐怖」の力、すごい。でも、そのセミナーでは、それを解く(ほどく)魔法のことばももらいました。また今後の経過や自分の心の分析?、見つめ直しも含めていつかここに書き残したい。

あと、個人的に、「ツンデレな褒められ方」が好きっていう…あの…、終始「別に…」な態度の人が、ふと言ったことばに対して「今の、もしかして褒めてる?」ってなるのが胸キュン…。マンガでも王道だし、自分が好きだから相手(というか多くの日本人?)も好きなのかなと思っているという…


でもそれは個人的な好みなので、カウンセラーとしてお話する時には、お相手の悩みや状況にとって、何か少しでも光や力になるなら、自分の持っている壁をどんどん越えたいと、特にこの数ヶ月で思っています。メールなどで、文章で伝える方法も真似をしたい。


というか、前回の「イタリア人男性に褒められまくりたい♡」という記事をきっかけに色々ネットで調べたら、もう、読んでいて笑えるぐらい出てくる出てくる、彼らの褒めのエピソード。生まれ育った環境がそうさせるのはもちろん、「慣れ」の要素もおそらく大きくて、魅力として捉えたことを明確に言語化して実際声に出して目の前の相手に言い続ける、と、今のわたしにもまた違う景色が見えてくるのだろう。


違う景色も見に行ってみたい。
ふたださとみでした。


魅力がひとつひとつケーキのようだとしたら。しかも何個食べても太らないケーキだとしたら。何個でも相手と一緒に食べたい。冷蔵庫からどんどん出してこよう。というイメージで「魅力を伝えることを想像する」と自分はワクワクすることに気づいた。

今日のSFOタイトルは、

 

魅力は、色とりどりのケーキのよう


でした。

SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。
「主観と客観」、「カウンセラーブログ」を意識する練習をしています。

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