魅力と才能と悩みと自分らしさと

週末blogはお手紙です。
ふたださとみです。



最近、「こじらせ女子」なわたしの過去について書いてみたら(「こじらせ女子の恋、自己完結」「こじらせ女子、その世界」)、何だか妙に過去の自分が愛しくなってしまいました、ってそれ日記に書けばいいのに的な。でも、アイコン(↓)を褒めてくださった方もいらっしゃって、嬉しかったです。ありがとうございます。お借りした素材ですが、何ともいえない顔?をしているものを頑張って探しました。



ふただ(20代・妄想女子)


過去の自分について、「こじらせていた」と過去形にしていますが、今も自分の核のようなところは変わっていなくて、悩んだり、もがいたりしています。でもまあ、仕方ないじゃん、という感じです。こう思えたところが一番の変化といえば変化です。


わたしは、ピクサーの映画を見た時に、出てくるキャラクターの変化や物語の展開に対していつも思うことがあって、それは自分(過去の自分だけでなく、今の自分にも)や、同じようなことで悩んでいる方に、伝えたいことと似たようなことになるのかなと。


物語の中で、全てのキャラではないですが、多くの登場人物が、「自分らしさ」を否定したり、「自分らしさ」がどんなものかまだ知らなかったり、自分の才能や魅力を嫌っていたり、それゆえ、ありあまるパワーを自己否定・自己攻撃に使っていたり、何かが怖かったり、何かを我慢していたり、色々頑張ったりしていて。「そうなったのにもその人なりの理由があるし、そのプロセスに間違いなどなく、全てのことに意味がある」と、第三者から見れば思うのですが。



いざ自分のことになって、渦中にいると、「自分の魅力や才能」なんて、わたしは絶対に見えなかったし、とにかく人間関係で「相手次第」の部分が大きすぎて、日々、心がぐらぐらゆらゆらして疲弊するし、妄想に走るしかないし、そんな中「好きなことをしていたら幸せになってたの」と言う人を見て、「わたしは結構頑張っているのにな」と思って何だかまた辛くて…(あら、わたし、この話、止まらない)。


だから、そんな登場人物たちが、「自分らしさ」を好きになる過程、自分を開いていく過程を見て、

「才能とか魅力は、隠そうとしても漏れるもので、抑えるのにすごいパワーがいるし、かつ、自分の魅力や自分らしさを抑えることと、自己嫌悪はつながっているんだな…。もしも自分のことを愛するのにそのパワーを使ったら。そして、自分の魅力を知って、自分を開いていったとしたら。今まで抑えていた分まで、というかそれ以上に魅力が開くんだよね…」

と思うのです。

そして、悩みや問題は、それを教えにきてくれる…、

というのも、頭では分かるのですが、それにしても辛いし痛いし怖いことはあるなぁ…。
ぼちぼちいくことにしよう…。


こちらは、そんな毎日です(昔からの知り合いへの手紙風)。
ふたださとみでした。

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