我慢と頑張り-玄関のドアを閉めてすぐに泣いていた時のこと-

食欲の秋。秋も食欲。
ふたださとみです。



「我慢」と「頑張り」。
40年近くここまで生きてきて、「我慢」と「頑張り」が「美徳」だと教えられたことも、確かにあったし、「我慢」と「頑張り」がわたしを救ってくれたことも、何度もある。


20代の後半、一人暮らしの家に帰ると、マンションの階段を上がるぐらいからなぜか胸にこみ上げるものがあって、玄関のドアを閉めた途端に泣いていた、そんなことが何度かあった。


その時は理由がよく分からなかった。涙が出るきっかけは、職場でのふとしたことや、好きな人と上手くいかないことなのだけど、もう少し深いところに理由があるような気もしていた。

一方で、「自分は、何をやっているんだろう」と思っていた。泣いてしまうこと自体が、自分にとっては、「良くないこと」だった。



今のわたしが当時のわたしに声をかけるなら。

デトックス〜。順調だね。


「我慢」も「気持ち」も、心のどこかに積み重なるもの。
なるべく期待に応えたくて、色々頑張っていた自分の心の中で、何十年も醸造して出てきた涙だったかもしれない。


「料理をする」とか「焼肉を食べに行く」とか「紅茶と入浴剤を選ぶ」とか、「新幹線を見てはしゃぐ」とか、そんな過程で、ふと楽になることもあるけれど、どこか「気持ちを感じることを我慢したまま」だと、より一層息苦しくなっていく。


「気持ちを感じること」とは一体どうすることなのか、それも正直、よく分からなかった。というか、「気持ちを感じていない、抑えている」ということに気付いていなかった。息苦しさだけがある感じ。だけど、人前では何とか頑張らないといけないと思っていた。


「気持ちを感じること」とは、ウルトラテクニックが必要なわけではない、と今は思う。

「悲しいなあ」「嫌だなあ」「嬉しいなあ」「もどかしいなあ」「寂しいなあ」「怖いなあ」と、ただ思う。

「悲しい」と思うと余計悲しくなる気がしていたし、
「寂しいな」と感じるのが嫌だった。
「怖いなあ」と感じるのが怖かった。

「悲しいと思うと余計悲しくなる気がするよなあ」
「寂しいなと感じるのが嫌だよなあ」
「怖いなあと感じるのが怖いなあ」

どこまでも。
自分と一緒に歩いてみる。

気づいたら、お腹が空いている。
気づいたら、好きなことをしたくなっている。

玄関のドアを閉めてすぐに泣いていた頃のわたしへ。

我慢、えらい。
我慢=悪い、というわけじゃない。
でも我慢、しなくてもいい。
頑張り、えらい。
頑張りは人のためだったりする、愛だね。
でも、頑張らなくてもいい。

ふたださとみでした。

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