【母と娘の距離】母の「一人称」が増えたのは
同じ世界に生きてくださっている、
大好きなあなたへ、ふたださとみです。
先日、テレビでマツコデラックスさんが、「自分がコンプレックスに思っている所が意外と世の中の需要だったりするわけですよ。これ不思議。ほんと、そういうもの。」と言ってました。メモした。
タイトル、大好きなドラマである【義母と娘のブルース】をヒントに作ろうとしたのですが、「ロック」も「マーチ」も「クラシック」も「ラップ」も、どれを入れてもしらけてしまった…。
母と娘。
たとえ、今はもう会えない距離でも。
何かしらの事情があっても。
その(心理的な)距離に「正解はない」ことが、大人になって分かってきた。
その距離は、きっと、年々「変わっていくもの」だから。
どちらか一方が、または両方が、「変わっていくことを受け入れられない」とすれば、少し辛いのかもしれない。
とはいえ、「自分としては何も困っていないところ」に人から何か言われてどうにかするものでもきっとない。
自分の目の前に現れる出来事が、「母との距離について再考してみてもいいんじゃない?」って教えてくれることがあるのかもしれない。
「恋愛がうまくいかない」
「将来のことも決められない」
「私がどこにもいない」
「ずっと中二病」
「大人になれないし、なりたいし、なりたくない(葛藤)」
…と、私が、どうにもこうにも辛かった20代、時に「母のお腹の中まで帰りたい」と思った。(そんなことを書いた記事は、「親密感への怖れ」がテーマなんだな、超やっぱり)
そして時に、過干渉気味だった母に対して、私は怒っていた。
遅くやってきた反抗期は、どうにも、長続きするらしい。
怒りの力を使って親離れをする試み。
かわいく怒ることができるような時期はとうに過ぎていて。
「青春時代あるある」と言い訳ができる時期も過ぎていて。
もう社会人だった。
一人暮らしの家で、怒って、怒って、泣いて、泣いて、泣いた。
新しい自分が生まれたり(泣くことで)、親離れをしたり(怒ることで)、でも当時はそんなこともよく分からないまま、泣いたり怒ったりした。
母が亡くなることを考えて泣いて、お別れの言葉を考えたりして泣くこともあった。
今思えば自然な流れでそれをしていたけれど、癒着をゆるめるプロセスでそういうワークがあるらしい
母が変化すると、私が変化する。
私が変化すると、母が変化する。
これは、不思議なようで不思議ではないこと。癒着しているからこそ、起こせる変化もあるのかもしれない。
私の母の「一人称」のバリエーションが増えたのも、その頃だった。
日常では、母は、「お母さんね、」と話し始めることがほとんどだっだけれど、母が家族以外の人と話すことがどんどん増えてきて、「私ね、」と話し始める場面が多くなってきた。
母だって、もちろん、母じゃない一面が確かにずっとあって。
私も、娘じゃない一面があってもいいのだ、と体感できた気がした。
私の母は、過干渉気味で、きっとずっと、24時間、母だった。
でも、母が、「母」でいる時間を、そんなにもたくさん持つことを「選んでくれた」のは、愛だなあと。
今はしみじみ思う。
最近、「ばあば」という一人称が増えたのもはたから見ると嬉しい、かわいい。
何歳からでも。
今はもう会えなくても。
「母」のこと、
恨んでいても、嫌っていても、可哀想と思っていても、何かを申し訳ないと思っていても、どんな気持ちでも、
(そう思う「心・自分」がここに生きていることこそ、「母の存在」の証、その事実すら嫌だとしても)
自分にとって「ちょうどいいサイズ」でそれ(母に対する色々な気持ち)を小脇に抱えながら、「私は私」で、歩いていける、ような。
そんな気がする。
だって、母と私は、今、10年前には想像もできなかった関係になっているから。
ふたださとみでした。
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