「鎧」をつけたり、はずしたりすることを意識する【わたし、脱いでもすごいんです】
同じ時代に生きてくださっている、
大好きなあなたへ。
悩みの整理&解放の対話カウンセラー、
ふたださとみです。
「脱いでもすごいんです」というフレーズを聞いて「ああ、そういうCMがあったね、昔」と思う世代のふただです。知らない方はスルーで、どうぞ最後までお付き合いください。
ありのままでね、
ありのままの、弱い私を、
誰かに、大切な人に、
さし出して。
流れに身を任せて。
…って、よく言われること。
そうすることの、
心地良さとか、開放感とかも、
少しずつ理解してきたところ。
とは言え、です。
いつでもどこでもそうできるわけではない。のだし、
いつでもどこでもそうしなくてもいいんだよね。きっと。(サレンダー見習い中のふただの弁)
「鎧の恩恵」、忘れがち
何かを頑張ったり、バシバシ決断したり、目の前の状況がどうにかならないものかと奔走したり。
泣きたくても我慢したり、両手を広げて子どものように駆け寄って抱きつきたくても「私の愛は見守る系の愛だから」と勝手に心の中で唱えて抑えたり。
私はいいから、と欲しいものに伸ばした手を引っ込めたり。
そういう状態を、「鎧を着ている状態」だとすると、
「鎧」には鎧で、そうすることの意味も理由もあったわけで。
周囲にも自分自身にも、その恩恵がたくさんあったよね、と、今一度「かっこいいなあ」と思って欲しい。(勝手に願っている)
鎧を、ただ脱ぎ捨てて、もういらないと宣言することだけを目標としなくてもよくて。
外したマスクのように、脱いだらとっとと捨てなくてもよくて。
自由に、着たり脱いだりすればいいんだ、と、ふと思いました。
本当に、「やらかした」のか
しかし、
鎧を脱いでいる状態の言動は、鎧を着ている私からすると、
「やらかし」が多いようにも思える。
(これはシンプルに、自己肯定感案件なのだけれど)
本当に、やらかしたのかなー
それって魅力かもしれないよねー
たまらんギャップというやつだよねー
やらかしていてもいいよねー
あなたのやらかしが、誰かをヒーローにするんだよねー
「鎧を着たり脱いだり、私が自由に選ぶ」
ぜひご一緒に。
ふたださとみでした。
鎧を無理に脱ぎ捨てない在り方について検討する会議(セッション)については
こちらから。
公式LINEアカウントはこちら
無料で「自分をほどく言葉」をプレゼントしています。
カウンセリングのご案内もいち早くお届けします。
LINEご登録者さま限定無料45分カウンセリングプレゼントも実施中。