【スポーツのような格闘技のような、と言われてもピンと来なかった】奥手系こじらせ女子が、「思考的なセックスをする」とは多分こんな感じ

同じ時代に生きてくださっている、
大好きなあなたへ。
気持ちの整理&解放セッショニストの
ふたださとみです。

冬の夕方の海。
コーヒーを飲みながら。



突然の大人なテーマの話。
いつか、職場の人(特に上司)がこのブログを見ることとなった日にはこの記事は消す(照)。


20代と30代の自分を振り返るに、っていうか振り返らなくても、

「スーパー奥手」として生きてきたんだ。

セックスなしに生きていくことだってできるし、本人がそれでいいなら全く問題ない。他人がどうこう言う問題じゃない。

だがしかし、

こじらせ女子にとっては、どんどん「自分らしさ」を許していくと、


っていうか私、全然奥手じゃなかった

むしろ好きだった


ということも、ままあることであるらしい。


20代、「好きな人ができた」となっても、「心が思春期で止まってる」ので、とてもじゃないけどリアルには近づけない。怖い。もう、「恥ずかしさを散らすため」には何でもする。思考を巡り巡らせ、そんなことまで考えるのかと言われるぐらい考え、拗らせ女子の特技である「妄想」の世界では、当該好きな人と結婚し第一子を産んでいるぐらいになった(怖)頃、
「もういいか考えるのやめよ、感覚を大事にしよう」と一回思うものの、やっぱり怖いので、もう一周考えを巡り巡らせ、そうするうちに自意識はますます肥大し、恥ずかしさの塊となり、もともと「感性豊か」ゆえに、「恥ずかしいことが恥ずかしく」なっていく(ここまで一気にしゃべった)。

ドラマで見て知っていた、「キスする直前の沈黙」なんて、私にはとても耐えられそうにない。

そんなピンクの空気、全力でえいやえいやと振り払いたい。


そういう女子は多分、セクシャルな領域に自分が巻き込まれそうになると(言い方)


笑いにもっていくか、そっと引きこもるか


を選択することになるのだが(表現形態が違うだけで本質は一緒、「その領域の核心には触れないまま生きていく」ということ)、


私は、引きこもった。


少し勇気を出そうと思っては、自分の体の欠点が目につく日々だった。


そんな自己嫌悪が恥ずかしさを無限に生成し続けた。


そうやって月日は流れた。


※本当に余裕で月日は流れる、自己嫌悪パワー、自分抑圧パワー、解放への恐怖パワーってすごい



そうこうするうち、こんなことがあり、心理学を勉強し、


「自立系」「我慢」「頑張りすぎ」→「委ねる」「我慢しない」「解放」「生命力」「自分らしさ」といったキーワードから、

「思考的なセックスをする」という言葉に触れることになった(言い方が奥手)。

「スポーツのようなセックス」、といった言葉も。


奥手系こじらせ女子の私、いまいちピンと来ない。

「自立系で、思考的で。感情を感じないようにして…」と、言われていることはよく分かるのだけど、実感としてよく分からない。

すごいじゃん。スポーツって、そんな、すごいじゃん(言い方が奥手)。



私が実際に体験した現場(言い方が)と言えば、

「流れに任せる」の苦手なんだよなあ、でも任せるのがいいらしいから、どうやったらいいか考えよう、あれまた考えてる、考えてることについて考えてる(以下ループ)、


「委ねる」ってなにそれおいしいの、え、委ねた先で恥ずかしいことが起こるんじゃない、じゃあやめやめ(撤退)、

「こんな私でごめんなさい」の嵐が吹き荒れ(日常生活には支障がなくなってきていても、現場でちゃんと「ごめんなさい」が浮かび上がってくるからすごいよね)、

挙句、最近見たニュースで思ったことを、今そのタイミングじゃないよねというところで話し出す、笑い出す、

という感じだった。


思うに、奥手系こじらせ女子が、感覚を開かないまま試みるのは、「スポーツのようなセックス」というよりは、



「パーティーを主催するような」感じ



なのでは、と、今振り返ると思う。

もちろん、ゲスト側ではなく、ホスト側。



・経験は少ないが、いきなりもてなす側になろうと試みる


・「私のことはいいから、それより、ゲストのあなたは楽しんでる?」という感じ


・「今日は来てくれてありがとう、散らかっていてごめんなさいね」という感じ(分からん)

・ゲストが入れない部屋が多数存在


・あわてて色々片付けた、色々とりあえず隠してる、準備も片付けも大変で、私、何だか疲れる


・ゲストが満足すれば”成功”(うまいこと言った感)


という感じ。
頑張って抽象的にまとめた。恥ずかしいからな。


多くは、「怖い」「痛い」「いけない」といった悩みとして表面化することも多いので、こんな風にまとめることもないけれど、もしも、パーティー主催感が少しでもあったら、

相手を見ているようで見ていない私(ただし、そんな自分を責めない)という側面を見てみるのもひとつ。

例の、肥大する自意識ね。


意識を相手に向ける。

目の前の相手は、自分の作り上げた、妄想の相手とは違うことを知る。


何より、

自分の恥ずかしさって、相手からしたらただただ愛おしいっぽい


ということを知るのだ。
っぽい、でいい。
むしろ真実が違ってもいい。
そう思える自分だったら、
どの道、結果オーライとなるはず。

かくいう私も、まだまだ道の途中。
よければ、ご一緒に。


ふたださとみでした。

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