職場の「小籠包コミュニケーション」-正しさに包まれた熱い感情-
プロ野球開幕に心躍る、
ふたださとみです。
開幕日は、取材の方々や関係者の方々が正装をされる日だと、野球関係者の方にとっては特別な日だと、テレビで見たことがあるのですが、今年は皆様の思いもより深いのではないかと思います。
職場のコミュニケーションの謎、
湿度の次は小籠包だ。
小籠包といえば、東京・立川の、「鼎泰豊(ディンダイフォン)/上海料理のチェーンレストラン」に行って、好きな人と小籠包を食べたのは、わたしの青春の思い出のひとつ。
鼎泰豊の本店は台湾らしい。そこにも行ってみたいなあ。
熱々の小籠包。
レンゲの上にのせて、
刻んだ生姜をのせて、
噛んでもいいけれど、
箸で穴を開けて、ふーふーしながら、
火傷をしないように、少しずつスープから。
そして最後に味わう身(身?)。
おいしいねー。
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職場でのコミュニケーションについて考えていて、まるで小籠包のようだな、と思う場面がある。
冷静に正しさを主張しているように見えて、奥に、熱い感情が見える、という喩え。
正しさを主張することも、
熱い感情を持つことも、
それぞれ、状況にもよるが、
必要なことのようだ。
悪いことばかりではないのは分かってきた今日この頃。
だけど、自戒も込めて、ここに整理したい。
「小さな豚まんに見える小籠包」ほど、職場で出されても熱すぎて食べられないことがあると思うのだ。「別のもののように見える」、というのがポイント。要は、「気持ちを正しさに包んでぶつけないでー」という訴えです。
相手の「熱い気持ち」がストレートに出ていたら、それは「おいしい豚まん」だし、しっとりと感情を伝えてもらえたら&伝えられたら、それは「おいしい水餃子」だ。
喩え…大丈夫かしら…私自身が意味不明になってきたけど…
豚まんや水餃子だったら、普通の食べ方で、みんなで分けあったり(共有したり)一緒に食べたら(仕事を進めたら)いいよね。
わたしのイメージの「職場の小籠包」は、「表面的にそうは見えないけれど、相手の感情をぶつけられていると感じる」場面とか。「表面的にそうは見えないけれど、上司や先輩の不満や不安をぶつけられたと感じる」場面とか。
それは、普通には食べられない。
受け止められない。
とにかく、見かけ以上のその熱さに周囲は驚く。その熱さ(感情)は、わたしには、引き受けられない、と率直に思う。
うん、そこは無理に引き受けなくてもいいよね。若手だったり、自分の未熟さを自覚していたりするほど、全部引き受けなくてはならない気になってくるけど。
仕事上必要なメッセージを受け取るのと、
そういう類の熱さ(相手の感情)まで
引き受けるのはまた別の話。
投影の法則を使うとまた話が深くなってくるのですが、今回はとりあえず、現場での自分のモヤモヤした気持ちを応急処置する方向でいきます。
そんな風に、「別の話」にするまでに
少し時間がかかって、わたしは苦労した。
とりあえず、
真面目で頑張り屋のあなたにも、
過去のわたしにも、言いたいのは、
職場でそんな場面に出会って、相手から渡されたことばや対応にモヤモヤしたら、「これはもしかして、小籠包的な?」と思って、ちょっと引いて見てほしい。
そんなことをしてもいいのかな、と真面目な人ほど思うけれど、そもそも、ありがたいことをありがたく伝えてもらった時には、ただただ感謝の気持ちにしかならない、ような気がする。
まだまだ自分の修業が足りなくて、単に反発をしたくなるだけの場合もあるけれど、その場合でも、少し引いて見ることで分かることがあると思うので、とりあえず。
「おお…これは熱いぞ…」と思ったら、最初から全部、相手の言うことを間に受けない。ふーっと息を吐きながら、少しずつ、必要なメッセージだけを取り出そうとしてみる。
できれば、その場が少し冷めるまで待ちたい。
時間を稼げるなら稼ぎたい。
物理的に少し後ろに下がれるなら下がりたい。
しかし、一方が時間や距離を置こうとすると、片方はより熱くなる、という可能性もありうる。
難しい…。
とりあえず、心の中でだけでも、
相手の正面からこっそり少しずれて、
少し流しながら受け止めつつ、
(自分が辛かったら真正面からでなくていいと思う、全部受け止めなくていいと思う)
とにかく無理をしない。
家に帰って、
その場をやり過ごした自分のことを
盛大に褒める。
わたしすごい。
わたし頑張った。
また経験値が上がった。
あとは、誰かに話して、時間差ではあるけれど、その熱さを一緒に共有してもらう。
または、紙に書き殴る。
そのあと余裕のある時に、振り返る。
心のざわつきを完全になくして仕事をするのはわたしもまだ難しいけれど、時々「小籠包的コミュニケーションでは?」と思う場面に遭遇して、必要以上に落ち込んでいる、特に、新人さんの話を見聞きすることがこれまでにもあったので、何となく、まとめてみたくなりました。
自戒も込めて。
例によって、まだまとまらないのでこの話もまだ続く。
宿題に追われる最中、「小籠包 食べ方」などで検索。
次回は、「迷ったらストーリーを見に行こう」、
「ごほうBINGOを作ってみる」というタイトルか
別のタイトルのブログを書きます(自分との約束)。
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