シェアをすることの奥深さ

週末blogはお手紙を書いています。
ふたださとみです。

台風の無事を祈ります。
九州生まれのわたし、地元が心配で、この週末は台風情報が気になっていました。

でも、楽しい会にも参加させてもらいました。
カウンセラーお弟子講座の先輩の、読書会です。また詳細は日を改めてご紹介したいと思います。
とても楽しかった…。


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仕事でも、何かの集まりでも、普段の会話でも、誰かと何かを「シェアすること」はたくさんある。何気ない会話の中では自然に話せることでも、「さあ、では皆の意見をそれぞれシェアしましょう」という場になると、ついつい「正しいとされていること」や「多数派の意見」を目指してしまう癖が、わたしにもあって。話し合いの目的や残り時間やメンバーにもよるけれど、「わたしも同じ(意見)です」「特に(意見は)ありません」と言うほうが自分としては楽な時もある。本当に同じ意見の時にはそれでいいけど、家に帰ってから「あー言えばよかった」「これも伝えればよかった」、と思ったり。


はたまた、「自分が感じたこと」や「自分の目指したいもの」をシェアする場面では、「正解などないこと」は頭では分かっているけれど、今度は「恥ずかしさ」を感じたりして。
でも、他の方の、「感じたこと」や「その人の目指したいもの」をシェアしてもらうと、不思議とその恥ずかしさを超える勇気が出てくる。自分もいつの間にか話したくなる。
そしてシェアをさせてもらうと、それまで見えなかった景色が見えるような、そんな気がします。


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あなたの発信が
わたしの発信を後押ししてくれたり
あなたのビジョンが
わたしのビジョンも明らかにしてくれたり
その逆もあって


お互いの共感が
お互いの勇気になって


「心の中だけでそっと大事にしていること」のうち
自分が話してもいいなと思ったものを
そっと誰かとシェアすると
どんな反応が起こるのか楽しみ

1人では見に行けなかった景色
ありがとう


ふたださとみでした。

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