「わたし、定時で帰ります」-職場で怖れていたこと-

金木犀の香り。
ふたださとみです。


職場の人間関係について。
タイトルでSEOとか全く意識していなかった時の記事。
「職場の湿度が気になります」。これではパッと見、完全に加湿機か除湿機関連の記事。
職場の女性の人間関係について書いてみた記事です。



わたしは現在、社会人歴・約15年ぐらいで、人間関係についても、まだまだ修行中。それでも、社会人3年目ぐらいと今で、全然違うなと思うのが、「定時で帰ること」についての自分の捉え方。

ザ・昭和な、「24時間戦えますか」という商品コピーが懐かしいけれど、令和の時代は、


「わたし、定時で帰ります」というドラマがあるほどで(「ライフワーク」について考えるきっかけに良いドラマだと思いながら見ていた)。


わたしは、ドラマを放送していた時、夕方、職場で、「わたし、定時で帰ります」と吉高由里子の真似をしながら帰った人のうちの一人(周囲から特に反応なし)で、

今は、少し現場から離れているのですが、近年のわたしは、毎日ではないにしろ、バリバリ定時で帰っていました。と思えば、夜中まで職場でゴソゴソ作業していたり。色んなパターンで自分のペースで仕事ができるように、やっとなってきた。

正直、社会人3年目ぐらいまでは、「毎日定時で帰る」のは、「あんまり良いことではないのでは」と思っていた。自分にも他人にもそう「判断」してしまっていて、毎日定時で帰る人を見て、少しだけ複雑な気持ちを抱いていたり(お子さんのお迎えがあるとか、その他家庭の事情は別)。

当時の職場は、定時以降も普通に仕事を続けるような雰囲気の職場。その集団の多数派意見に従っておけば大丈夫、とどこかで思っていた。だから、逆に、「定時以降に仕事をするなんて良くない」と多数のメンバーが思っていることを自分が感じていたら、「定時に帰るのが良い」と私は思っていたはず。

これは…自分の軸がない…?

そこには、「正しいことをしていたら、大丈夫」という気持ち。

「正しさ」とは?
「大丈夫」とは?

正しさを持ち出す時→「正しくない」と判断しているものがある?
大丈夫だからそうする→「大丈夫じゃない」のが不安、心配、怖い?
何が怖い、何が「大丈夫じゃない」状態?→周囲から嫌われるかもしれないこと。

その後年を重ねるにつれて、自分が1番パフォーマンスを発揮できる(あくまで当社比)働き方と、職場の規則が折り合うところを見つけられたのだけど、


・夕方お腹が空きはじめると普段以上に全く使えなくなる人なので、夕方はなるべく早く切り上げるか、小腹を満たすアイテムを前日から準備
・そしてどちらかというと、人が少ない空間が好きなので、朝早く出る方が良い
・頑張る日と頑張らない日を意識して作る、その日1日の気分や体調で調整するのと併せて、1ヶ月、3ヶ月ごとのスパンでも見るようにする。先週は頑張ったから今週はゆるくいこう、等々。


こうして書き出してみたらしょうもなかった(恥)。が、しょうもないことが大切だと今は思う。自分の取扱説明書。


多数派の意向を感じ取ることも、それはそれで良い面がある。
不安な気持ちがあったおかげで、周囲の空気を察して、楽しく過ごせた部分もあるかもしれない。

それでも、
「どう思われてもいい」。
「私は私、人は人」。
投げやりでもなく、仕事の進捗自体に影響するぐらい大げさでもなく、ちょうどいいサイズ感で、そう思えたらいいな。

職場で起こることは、「相手」そのものとか「状況」がどんなものか、というよりも、「自分の怖れ・不安・自信のなさを見てみるチャンス」だとか「自分が我慢していることを教えてくれる存在のお知らせ」だとか、「自分のこれまでの人間関係の投影」なのかもしれない。

そう思うと、皆が映画館でそれぞれ3Dメガネをかけている時のように、各々が、自分だけの眼鏡をかけて、自分の心の中を映し出して周囲を見ているように思えて(それは職場だけじゃない、多分)、ちょっと面白い。
その状態で、誰かに何か攻撃されたように感じても、相手が攻撃しているのはわたし自身ではないかもしれないし、攻撃されたと感じているのはわたしのかけているメガネがそう見せているから。
そう思うと、相手からどう思われるかは、もうどうでもいいか。

とか。
続く。

ふたださとみでした。




 

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