職場の人間関係、「自作自演」を深掘り
同じ時代に生きてくださっている、
大好きなあなたへ、ふたださとみです。
久しぶりになぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか(二村ヒトシ・著)が読みたくなった。本棚を漁ってこよう。森林原人さんの本も1冊読んで、ファンになりました。
以前、職場の小籠包コミュニケーションという記事で、
「パワハラとか、理不尽な八つ当たりをされたら、正直しんどいよね、そんなの気にしないでいこう」っていうことを、
これ以上ないくらい分かりにくく書いてみたのですけれど、
なぜ分かりにくくなってしまったのかって、私自身の中で、「投&影」とか「自作自演」というキーワードが曖昧なままチラついて、整理ができないままだったからかと。そこを切り分けようとしてだいぶもがいた。無駄に字数だけ増えた。話せば話すほど分からなくなってドツボにハマるやつ。
そのヒントというか、もろ、答えが、私のカウンセラーの師匠であるスーパーカウンセラーのブログにありました。
問題の「切り離し」。
別に職場に限った話ではなくて。
確かに、
「私のせいで」
「私がこんなんだから」
といった思いが、心の底?裏?土台?骨組み?枠?に、
ででーんと存在していて、
そこに、
「真面目」
「熱心」
「頑張り屋さん」
「いい人」
「この出来事の意味ってなんだろう、え、自作自演?という解釈」
などを加えると
「相手にこんなひどいことを言わせたのは私」
という、
ある意味正しそうな、深掘りした足跡が愛しいような、そんな結論になりますです。
なぜか、そう思うと、「無価値感が満たされる」んですよー。変な話。
あ、この感覚はポイントなのかな。
無価値感で「胸は痛む」のだけど、「やっぱりねー。このままでいいんだー」っていう満たされ感。
それ、ブロック。
自分を幸せにさせないように。
前に進まなくてもいいように。
それで、問題の「切り離し」のための具体的方策を私なりに考えてみたのですが、
「この世界は自作自演、相手の言動ももう全部全部私が作り出したものかもしれない」と、極端に背負いそうになる前にぜひ。
まず、
そんな風に捉えようとした私、謙虚で可愛くて素直で賢い
本日は、その点に関しての私のタスクは完了である
と自分を褒める。おすすめ。
その上で、後日。
そのエピソードを捉える時に、脳内で、
①自分の記憶の中にいるその場面の相手から「個人を特定できるような情報」を抜き取り、簡素なキャラ化する
例「会社の、所属する部署の課長の、上原さんが〇〇と言ってきた」→「40代前半男性上司が何やかんや言ってきた」
②「そのキャラを使って、もしかしたら私は、自己否定をより確固たるものにしたり無価値感を満足させているのかもしれないね」等々、自分をより幸せにするための深掘りをする
③そうかーそうかー。そういう見方もできるなー。じゃあどうしていこうかー。よし、後日、友達やカウンセラーに話してみよう。
④そして、そのキャラが、「ある日たまたま気分悪い」とか、「他の誰かに嫉妬しているせいでこちらに当たってきた」とか
そんなの知らない
何せ、「40代前半男性・上司」ということしか設定していないのでね
「上原さん」がどんな「声」でどんな「顔」でどんな「言い方」だったとか、さらに上の上司の「浜辺さん」と上手くいってないとか、その辺りの細かい事情とか
そんなん知らん
何よりも、これからの
自分を幸せにするための材料として、自作自演的見方を使うんだ。
欲しいのは、「自分が、どんな設定のキャラを自分の世界に登場させたかったのか、それを知るための」抽象化された情報だけだ。
大概、そんな、自作自演とか、そういう風に考えられる、謙虚で素直で可愛い私たちは、自分が責められた、ちょっとした行き違いがあったとか、とかそういううまくいかなかった場面に限って自作自演を持ち出して謙虚に自分を省みたりするわけで、
とても魅力的な人に会えた
目の前の人が愛に溢れている
っていう日には、「世界がそう見えるのも、私が素敵だから」とは、なかなか、いちいち思わないのでね。いちいち。
だからこそ、極端なぐらいに、線引きを意識した方が、本当の意味で自作自演や心理学的見方が効いてくると思うのです。
合言葉は、「そこから先は、知らん」。
30代後半女性カウンセラーでした。
上原氏、浜辺氏は実在しません(念のため)
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