Re:「飲み会翌朝の自己嫌悪が激しい会」
雨で被害の出ている九州に思いを馳せています。
祈っています。
ふたださとみです。
を書いてから、自分のTwitterにもページリンクを添えて投稿した。
「抑制が外れて、いつもより感情表現をした自分もかわいいと思えますように」と
いうようなことがその時思い浮かんで、それもあわせて呟いた。
でも、その後、「もうひと押ししたい、自分で自分を」とも思った。
そんな酔っ払いの自分を、かわいいと思えますように。
…かわいいと思いたいです。
…かわいいと思います。
勇気を出してこうやって言ってみて気づく。
きっと、自意識過剰マン(わたしのことです)が怖がる余地はないのだ。
自分のことは自分が決めてしまえばいい、と一度思えば。
繰り返し唱えるのは、「人は人、わたしはわたし」。
わたしは、「人が決めること」にまで足を突っ込み、
どうにもならないことをどうにかしようとしたくなることがあるし、
「自分が決めること」は誰かに決めて欲しいと思っている。
「自分が自分を好きです」ということは、そもそも誰かに向けたメッセージの意味合いはなくて、
もしも誰かに聞こえるとしたら、
「こちらは過ごしやすい気候が続いています〜」というお知らせのようなもの。
他者からしたら「何よりです〜」で終わりなのかもしれない。
いつもながら、他者目線と自分目線が混線していてアレなのですが、
過去にわたしが上司から言われた、
「あなたはお酒を飲んでいるぐらいがちょうどいい」というコメント、
「わたしが酔ったわたしを受容している」状態では、
遠回しの説教でもダメ出しでもなんでもない、優しいメッセージなのかもと思える。
その上司の感覚と同じなのか違うのかは分からないけれど、
わたしは、長年一緒の部署にいた先輩に対して、
「この先輩の酔っているところが素敵」と思ったことが何度もある。
もっと言うと、酔っていないところも
酔っているところも好きで、その「ギャップ」それ自体も好き。
というわけで、飲み会翌朝の自己嫌悪は、
「日頃の自分も好き」
「少し緩んだ自分も好き」
「そしてそのどちらもがあるがゆえのギャップも好き」
という、魅力の3D化をもってかえさせていただきたいと思います。
奥行きのある魅力。
ゆるむ手段はお酒だけではなく、この世界にたくさんあるけれど、
「いつもよりも少し緩んだ自分」に出会って、もしも戸惑うことがあったら、
魅力を3D化してその奥行きの深さにニヤニヤすることにしよう。
ぜひご一緒に。
カラフルだし、魅力的。前回とは違う目線で同じ写真を。
次回こそ、「お肉計10kgと一緒に焼いた感情」というタイトルの
ブログを書きます。