テイラー・スウィフトの「cardigan」MVと、癒やしと

空が高く、
青く感じられるようになってきました、
夏を待っていました、ふたださとみです。

 

Taylor Swiftさん。
お名前を見聞きしたことがあるというぐらいで、実は詳しくは知らないのですが、昨日、外出先で偶然目に入ったテレビで新曲のMVの一部が流れて、その幻想的な映像に、「あ、わたし、これ癒やされる」と直感しました。


歌詞とその日本語対訳もまだじっくりとは見ていないので、
この曲に込められたメッセージは正確に把握していないのですが、とにかくその「映像」の美しさに見入ってしまいました。

MVの撮影は、新型コロナウィルス対策を万全に、ということで、ご自身でヘアメイクやスタイリングをしたとのこと。

光、水、木、火、
地面、そしてそこに裸足、
音楽(=ピアノ、彼女の大きな才能のひとつ・道標)の融合が素敵です。

うーん。うっとり。

 

改めて、
「癒やされる」とはどういうことか。

「癒やし系(色々調べていたら、正確な表記は「癒し系」ではないとのこと)」というフレーズが最初に流行ったのは1990年代後半らしいのですが、そのぐらいの時に何かで読んだ、


癒やし」というのは、「その相手の心の中に自然発生的に起こるもの」だから、
「癒やそう」「癒やしたい」と思うこと・そして相手に対してすることと、それで「相手が癒やされるかどうか」は別の問題である


という文を思い出すのですが、うーん、
わたしの記憶が曖昧な上、
そんなの、癒やし以外のあらゆる気持ちの伝達・交換に言えることではないかという気が今はしてきている。
正確には、もう少し尖っていて素敵な一文だったと思います。


あと、ここでは、「他者」を想定しているけれど、「自分自身を癒やす」となるとまた話は別。

その意味においては、「癒やす/癒やそう」が積極的に使えるような気がする
=自分は自分の癒され方を知っている(知っていたいor知ろうor知ってね)。
「知ってね」はお節介ゾーンに入るか…。
癒やしの「プロセス」は本来、お任せということだしね…。(この言い方に無理矢理コントロールしたい系女子の香りがする)

 


それは置いておいて、
わたしは、ことばでのアファメーションは、比較的習慣化しやすいのですが、
何かのイメージワークをするとなると、途中で目を開けてスマホに手を出して来週の予定を確認したりしてしまう(おい)。

そういうこともあって、TwitterやInstagramでは、「うっとりする」を手がかりに、
美しい風景や食べ物の写真を探してお気に入りに入れたりしている。イメージワークの時にそれらを思い出せたらいいな、という魂胆。


「癒やし」ということばとマーケティングについての面白い論文も見つけたので
次回またここについて勉強をしてみます。

 

何より、「癒」の字が無事にゲシュタルト崩壊を迎えたし、「癒着」の中に「癒」の字が入っているの、なんか怖い!
深い意味がありそうで怖い!

となったのでここまで。


森の中がイメージに出てくることが多いわたし。

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