「それとこれとは別」-認知の歪みを認知する-

おいしいマカロンに会いました。
ふたださとみです。



「それとこれとは別」というフレーズ。このフレーズを誰かに言われた時や、自分で自分に言ってみた時、正直、「とは言っても、本当は別じゃないんだよね」と思う自分がいた。何なら、それとこれとを別にするのは、少し「ずるい」考え方だとさえ思っていた。


例えば、遅刻をしてきた自分が、食事時間に食べたいメニューを主張していいのか。昨日病気で休んだ自分が、意見を言ってもいいのか。ミスをした自分は、ダメなのだから、もう何も言えないのではないかとか。

(これ、自分自身に思っていたことなのですが、同じことを他の誰かに対しても思っていたかもしれないですね…黒い…)

ここで、「それ(自分の失敗など)と、これ(目の前の議題)とは別」と言われると、確かに安心するのだけど、どこかで「そんなことない」と思う自分がいた。何というか、むず痒い感覚。

どうしてだろう。

そこにはわたしの持っている思い込みや観念がある。「ミスをしたらもう自分全部がダメ」などという思い込み。「認知の歪み」(アーロン・ベック/デビット・D・バーンズ 他多くの研究)といった用語でも説明できるのだろう。

全か無かの思考…、自分には確かにある。
行き過ぎた一般化…、それもある気がする。
心のフィルター…、それもある気がする。
レッテル貼り…、それもある気がする。

…待って。ありすぎて辛い。うーん。

でも、『認知の歪みは、「歪んでいることを認知する」だけで楽になる』から、歪んでいること自体にアレコレ考える必要はないのだと思うし、結局、その歪みとか、凝り固まった感じの自分を「どうゆるめてあげるか」。
世界には、ゆるめるための方法が多く提唱されているし、歪みに気づいたら、あとは、どんなマッサージに行くか、どこの温泉に入り行くか、を選ぶ感覚でいいのではないかと(飛躍飛躍…!)

私の場合、その、ゆるめる手段が「それとこれとは別」というフレーズだったので、どこかむず痒い感覚、や、「それはちょっと同意しかねるぜ」な感覚に最初はなるのかな、と。それは歪みに効いている(反応している)証拠、だからこそなのかな。でも自分としては、もう少し違うアプローチもいいかなあ。最初は「そう思わなくていいんだよ」とか、そういうフレーズの方が落ち着く気がする。


でも実際、最近になって、「それとこれとは別」というフレーズは自分自身に効いてきていて、結構呪文のようにつぶやいている。「あの仕事の結果と自分の価値は別」、「あの時間にやらかしたことと今この時間を楽しむことは別」。


しんどい時や、人に言われた何かのフレーズでむず痒い感覚になる時は、歪みに気づくチャンス。そして気づいたらゆるめるチャンス、だけど、無理に緩めなくても大丈夫、緩めないといけないという認知は、また少し歪んでいる認知なのかもしれないから。

この話もいつかに続く(まだまだ研究中)。
ふたださとみでした。

今日のSFOタイトルは、

「それとこれとは別」は、ずるい?

でした。
SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。
「主観と客観」、「カウンセラーブログ」を意識する練習をしています。


次回、「ずっと祝日カレンダー」について書きます。

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