歩きながら、話しながら、「私は、私の道を行く」。
同じ時代に生きてくださっている、
大好きなあなたへ、ふたださとみです。
先週末は、東京駅と皇居の間の広場で日向ぼっこをしてみました。
日向ぼっこには少し寒かったけれど
空気は美しかった。
「歩きながら話す」ということを、仕事(医療技術系の)の中で時折取り入れたりするのですが、特に、桜の季節や紅葉の季節に、同じ景色を見ながらお話をさせてもらうことで、新たな会話が生まれる瞬間が好きです。
青春時代の桜の思い出をお聞きして、ふいに泣けたり。
「蕾の時から経過を追っている桜」が咲くまでの、お互いの目標(大抵、私はダイエット)を決めたり。
桜が綺麗だったよ、ってこと、誰に伝えようか話したり。
「桜」と「パートナーシップ」は親和性が高いんじゃないか。私の偏見か…?
哲学の学派の中にも、歩き回りながら哲学をするという意味の名前がついている一派がいて、私はその真似をして、昔から歩きながら話すのが好き。
それで、向かい合って話すのもいいけれど、
歩きながら話すの(カウンセリングするの)どうかな、
私と同じく「繊細さんの要素があるとご自身で思われる方」とかにもどうかな、
とある時ふと思ったので。
「未来メニュー」に入れてみた。
「未来メニューフォーム〜!!(ドラ○もんが道具を出す時の感じで読みます)」という密かなリンクボタンを、これまた自作していて、私が今のところ妄想している未来のメニューの中でご興味があるものを選んでいただく企画を絶賛実施中です
リンクが開きます↓
そっと押してみて
…なんかね、今のところ、「歩きながらカウンセリング」というメニューには、あまり票が入らないよ。
(たくさんの投票ありがとうございますっ…!!)
一番人気は「ブラックzoomセッション」だ。ブラックな私を吐き出しまくろう、というコンセプト。
皆様、吐き出したい気分ですね。
というわけで、
〜散歩カウセリング企画ここまで??〜
ところが、
ここから偶然の一致を発見したので報告。
散歩カウンセリングの聖地ではないかと勝手に私が決めているのは、京都の「哲学の道」。
学生時代、歩きながら語るのに憧れていた時に京都へ行って、この道を歩いてはしゃいだという思い出があり、その時(ただはしゃいでいただけで、何も語っていないし何も考えていない)は、気がつかなかったのだけれど。
っていうかさっきググって知ったけれども。
哲学の道にある石碑には、哲学者の西田幾多郎が詠んだ歌が刻まれていて。
人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり
西田幾多郎、1934
きた。
人は人、私は私 だ!!
…自分軸だ!!
よく会うね!!
ここにそう刻まれているということは、私に対する大切なメッセージでは…!!
「私の道を、私は行く」。
これが、散歩の出発点であり、終着点でもいいと思う。
一定のリズムで歩くうちに、
景色が流れるうちに、
思ったよりも深く、
でも予想よりもシンプルな、思いにたどり着いたりして。
見た景色のこと、考えたこと、誰かに伝えたくなったりして。
「私の道を、私は行く」。
京都の美術館でピクニックカウンセリングか、哲学の道で散歩カウセリング、「現メニュー」になる日が来るかな…わくわく。
とは言え、私は京都在住ではなく、好きな街なので何十回と行っているというだけの一介の旅人です。「一介の」って生まれて初めて使った。
もちろん、京都ではなくても、今いる街でも、どこでも。
お天気の良い日には、散歩を。
ふたださとみでした。
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