【恋愛も、仕事のようにコントロールしたかった】「わわわ」の渦の中で、ひらくもの
同じ時代に生きてくださっている、
大好きなあなたへ。
ふたださとみです。
甥っ子(4歳)が愛しいです。愛の塊で。
好きなものには好きと。
大好きだ、と、屈託なく伝えてくれる。
愛とかコミュニケーションについての、今の私のお手本は彼です。
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自分が、「わわわ」となる瞬間が嫌い。
「わわわ」。
どうしていいのか分からなくて「わわわ」。
焦って、迷って、「わわわ」。
恥ずかしくて、「わわわ」。
もっとスマートに生きたい。
情報がたくさんあれば。
準備をしっかりしておけば。
頑張れば。
私がもっとしっかりすれば。
ちゃんと手順を踏めば。
相手の心をしっかり予想しておけば。
「わわわ」とならなくて、すむ。
全ては、「わわわ」を避けるために。
コントロールを失うのが怖い。
頑張ることは悪いことじゃない。
準備をすることも悪いことじゃない。
安心安全第一。
あらかじめ手順を確かめておくことも、時間の節約になったりする。
その分、自分の楽しい時間が増える。
いいことづくし…?
それでも時々やってくる、「わわわ」な瞬間に、
私は、
怒りや正論や、
「必殺・無理矢理サレンダー」で対抗しようとする。
「〇〇すべき」なのにしていない人のせい、とか。
間違ったシステムのせい。とか
大切な人の心も、しばしば「予想外」。
そんなのもう、知るか〜!(無理矢理サレンダー←まだまだ委ねきれていない)とか。
その怒りの下にある感情は、
恥ずかしさ。
悔しさ。
惨めな自分を見られない思い。
それは、その場における「嫌な余白」。
急いで埋めたい。
可及的速やかに埋めたい。
というか嫌な余白を埋めるの、これまで頑張ってきたから結構慣れている。
別の話題に流すか、忙しいからまたねと閉じるか、、
でも、
その余白でじーっとしていたら、新しく開く扉があるらしい。
その扉の先には、私が、ずっと欲しかったけれど欲しいとは言えないものがあるらしい。
(…武闘派女子にとっては、「おとぎ話に出てくる伝説」のような響きの話)。
いつだったか、パートナーとやり取りをしていて思ったことがありました。
相手がどうしたいのか分からない。
自分がどうしたいのかも分からない。
言いたいことがあるけれど言えない。
言うのが恥ずかしい。
聞くのも屈辱感。←何とかしがいのあるポイント
わわわ。
これはまずいぞアラームが鳴っている。
余白を埋めろアラームが鳴っている。
本当にどうしていいか分からない瞬間、
いつもなら、
「明日も仕事だし、今日も疲れたよね、じゃあ、またね」
とか何とか言って、その状態を終わりにするところでした。
その時、
「このまま、何も説明せずに、ここにいてみよう」と思いました。
その時、
恥ずかしい自分のこと、かわいいと思ってみました。
(※最初はこのように実験的な感じで、「試しにそう思ってみる」「そうするのがいいと聞いた」という感じでいいようだ)
するとそこに、
相手から、
期待以上、
予想以上、
相手の男性の普段の語彙力以上(失礼)
の、
嬉しい言葉の山がやってきた。
こちらが恥ずかしくなるぐらいのストレートな愛の言葉。
大事にしたいんだ、と。
恥ずかしがっている私のこと、大切にしたいと思うらしい。
武闘派女子としては、頭では分かるものの、イマイチざわざわする(しかしじんわり幸せ)。
恥ずかしさは敵。
好きな人にこそ見せない。
そう思ってきたから。
好きな人にこそ見せる。
「わわわ」の戸惑いの中でひらく扉があるらしい。
その先に、本当は欲しかったけれど、欲しいとは言えないものがあるらしい。
あなたも、どうか恥ずかしいままで。
ふたださとみでした。
好き好き
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