実家までの距離(車で6時間40分)

自分の、実家との心の距離のこと。
車でかかる所要時間はずっとあまり変わらないけれど、心の距離は少しずつ変わっている。しかも、変わり続けている気がする。
新幹線ができてからはだいぶ所要時間が…、という話になると長くなるので(わたしは少しだけ鉄子)、全然別の話になるのでまた。

 

夏至、わたしの住んでいるところは綺麗なオレンジ色の夕方を迎えました。
その中を、歩いてお好み焼きを買いに行きました、ふたださとみです。

 

最近は、自分が生まれ育った環境、
家族のことを振り返る機会に恵まれていた。

改めて思うのは、家族についても、
「〜しなくてはならない」
「〜しないと幸せになれない」
という決まりは全くないよね、ということ。
確かに「〜した方が、今より、身軽に自分らしく動けるかもね」というのはあるような気がする。
けれど時期もある。
時機・タイミングがある。
その時、悩んでいるということが、
時機が来た、ということだったりする。
「あ、少し寂しいけれど、そうする時が来た」って、流れの中で思うときが来る。


そういう意味では、
小さい頃の私から見た父母の風景とか、
何歳から親元を離れたかとか、
反抗期がどうだったかとか、
父母その他家族に対する今の思いとか、
今、自分が何人暮らしをどこでしているかも、
正解のないオリジナルストーリーだ。
しかも、
実際のエピソードはもう書き換わることはないのに、捉え方はいつでも書き換えられる。
時間が流れることによって、「変化」することができる。

家族の中の、誰一人も、変わらなくない。
亡くなっていたってそれはきっとそう。
よく、「母がわたしを産んだ年にわたしもなって…」ということばを聞くことがあって、小さい頃は、ふーんって聞いていたけれど、本当にそれが大きくて。

だから、途中で、誰かを恨んでもいいし、
怒っていてもいいし、
全部ひっくり返って愛になってもいいし、
逆でもいい。
よく分からない、なら、
よく分からないままでいい、のかな。

 

お父さんと離れたいな、お母さんと離れたいなといつ思ってもいい、のかな。
あんなに愛してもらったのに、ひどいのかな、子どもとしてはそう思う。だけど、「分離」は、わたしが望んだことでもあるし、もっと大きな流れのようなものの中での、必然なのかもしれない。


わたしが18歳で親元を離れたのは自然な流れだったけれど、
今思うとわたしにとっては本当に意味があった。
一人暮らしで初めてカレーを作って食べただけで泣いてしまった。
お母さんのお腹の中にまで帰りたいと思った。
わたしは、母と、同体だったんだ。
まだしっかり分離していなかった。
寂しすぎた。寂しくて驚いた。
故郷が好きだからもう一度故郷に戻って、そこで就職もしてみた。
両親は喜んでくれた。
でもそこからまた地元を離れた。
両親は少し寂しそうだった。

それでも本当に少しずつ、
離れることができている、気がする(現在進行形)。

決断の度に、「わたしのしたいことは何なのか」という問題と、「親離れ」の問題はセットメニューでやってきた。

でも、その度に、「大好き」とか「ありがとう」とか、以前は口が裂けても言えなかった言葉が言えるようになった。
言えなくても、そう思って接することができるようになった。

だから、どの選択も、
間違っていたとか正解だったとかではなかった。今思えば。

今、時々実家に帰ると
わたしの居場所はすごくあるような、
でもないような、不思議な感覚。
あってもほっとするし、なくてもほっとする。

きっとこの先時間がまた状況を変えてしまうと思うけれど、「今、家族に届けたいと思うものは、届けられている」、そう思える自分に、前よりなれたから、不思議と怖くはない。

家族の話もまだ抽象的なわたし。
いつかに続く。

今、あなたが家族に届けたいものは何ですか。

次回、「ごほうBINGOを作ってみる」、「上質な新月の夜」、というタイトルのブログを書きます。

 

 

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