すき家のうな丼と「ぼくのなつやすみ」

見ているだけで気分が上がるクッキーを買いました、
ふたださとみです。
もともとプレゼント用に買おうとしていたけれど、どうしても自分も食べたくて、多めに買った。そして幸せな気分が続いている。そして味も優しくておいしい。ありがたや。

こちら。料理研究者リンネさんのもの。




8月も下旬。
夏が来ると思い出す光景、夏に限らず冬でも秋でも、人それぞれにきっとたくさんあるもの。そしてその思い出を辿って行くと、「あ、そういえばその時この曲流行ってた」に始まり、「その時よくこれを食べていた」「その時これに夢中だった」と、思い出のあちこちから色々なものが出てくる。時には自分でも「意外なもの」が出てくるので、記憶の貯蔵庫は不思議で面白い。

20年来の友人とLINEで話していて、返信を打ち込んでいる途中、「そういえば、15.6年前の夏、ちょうど今と同じぐらいの時期に、彼女とすき家のうな丼を食べに行ったなあ」ということを思い出した。学生時代、前期試験の終わりに、うな丼を食べに行く約束を楽しみに試験勉強をお互い頑張って。当時、私たちが住む学生街の中に、すき家があった(今もそこにある)から、そこで試験の打ち上げしよう、と。

懐かしい…、と心の中で思いながら話をしていると、同じタイミングで友人から、

「夏に、すき家のうな丼食べに行ったの覚えてる?懐かしいね」と。

嬉しい一致ーーーーーーー!!
誰かと思い出を共有できることがありがたい。
同時に、

「えと、あれから何年経った…??」
「私たち、そんなに大人になった…??」
美容院で出してもらう雑誌の種類が最近変わったんだ」
「うん、前とはひと世代違う雑誌になった」
「あと、うな丼食べていた時よりはるかにずっと痩せにくい」
「うんうん、全然落ちない」

今と昔のギャップを話すのも、同じ時間を生きてきた仲間だと、ただただ楽しい時間。



ひとつの思い出から連なって思い出される意外なこと。わたしの場合。うな丼の思い出と一緒に出てきたのは、「ぼくのなつやすみ」というゲームだった。
調べたら、ちょうど今年2020年で発売20周年。
わたしは、学生時代に1人暮らしをするまで、実家ではゲームに触れていなくて(あまりゲームがしたいと思わなかった&親の意見に従っていたのかも、それほど「禁止」された感覚は残っていないけれど)、学生時代に始めてみたら、徹夜で夢中になるほどのめり込んでしまった。あの頃の生活、ダメだったなあ。ダメだったけど、楽しかった。


ぼくのなつやすみ。ぼくなつ。

改めてゲームの説明を読んでみたら。

プレイヤーに課せられた目的はただ一つ。「夏休み」を過ごすこと。
虫取りや近所の探検など精力的に遊ぶもよし。景色を眺めながら、ボーッとするもよし。
何をして過ごしても、31日になれば「夏休み」は終ってしまいます。

ぼくのなつやすみ 公式サイトより

20年経ってこれを見てみて思ったのは、

奥深…!   
目的は「夏休みを過ごすこと」って…奥深いわ…

だった。


「考えるな、感じろ」の世界なのか?深いようでシンプルなのか?(ゲーム自体の作り込みは深い)。当時思っていたよりずっとずっと奥が深いように感じる。大人になって、夏休みがなくなったせいもあるのかな。




ノスタルジー。何かを懐かしむと、その時の自分と、今の自分との距離が自然にはかれる。

心のどこかが、しばらく動いていないんじゃないか。頭で考えることに偏っていないか。
それは裏返すと、「それだけ頑張った」の証でもあるけれど。




あなたの夏の終わりには、どんな光景がありますか?


ふたださとみでした。

今日のSFOタイトルは、

うな丼ノスタルジア

でした。
SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。
「主観と客観」、「カウンセラーブログ」を意識する練習をしています。



夏の終わりになぜノスタルジーを感じるのかについて書かれているページを見つけた。勉強になった。


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