自分の性(さが・せい)と恥ずかしさと

台風、何もないことを祈ります。
ふたださとみです。



カウンセラー講座のお弟子さん仲間の春香さんが、ブログで紹介してくださっていた本を読みました。

春香さんのブログの記事はこちら。


紹介してくださっていた本は「生理ちゃん」(わたしのブログではなぜか上手くリンクが貼れないので文字列にリンクを貼りました)。

コミカルな内容でありつつ、とてもとても奥深い本でした。読めてよかった。所々エグいと感じるのに、確かな優しさと温かみがある。「笑いすぎて泣き」と「ほっとして泣き」を同時にしている感覚。


「性」と向き合うことは、自分らしさ(性=サガ)と向き合うこととやはりつながるんだな。漫画に出てくる、自分のことが好きになれない女の子は、自分の「性」から目を逸らしていたり…。生理があるからどうないからどう、というのを最終的に超越して、自分らしさへと話が及ぶように感じるところが面白くて、凄かった。


本を紹介してくださった春香さんは、「都会的な美しさ」と、ジブリに出てくる森のような「偉大な女神感」を併せ持つ、憧れの女性。春香さんの女性性についての話・身体についての話、いつも「ほーっ」と吸い寄せられるような感覚で拝読しています。わたしの心の中の迷いのようなものの、道先を照らしてくれる感、を感じるからだと思う。そして、お子さんについての文章には、もう行間から溢れ出る愛を感じる。お子さん方を「1人の人間」として尊重して信頼して見守るお母さんの姿。



わたし自身、何がしかの「性=自分らしさ」を自分の中で許したり表現したりすることには怖れがずっとあって、ある自分になるということは別の自分にはもうなれないということかな、それは何だかもったいないなあとか(欲深)、どの自分の方が相手に好かれるかなとか(他人軸)。あと、もう強烈な「恥ずかしさ」があった&ある。

ゆえに、自分軸で選べない・決められない・表現できない、という感じでした。


うん、そんな自分もいいじゃない、というかむしろそれも「らしさ」じゃないかと思うことができるようになってきてからは、「本当はわたし、やってみたいことがある」「本当はわたし、ああいうのが好き」等が次々と湧いてくる。やはり、「自分らしさ」は、考えたり調整したりしてどうこうするものではないんだな、と今は思っています。

「好き・やってみたい気持ち」と「向き・不向きのようなもの」の葛藤は時々起こるけれど、自分の気持ちがワクワクすることを目印にすれば、どんな選択の先でも、どんな展開もどこかで楽しめる気が、してきています。


あなたの性=さが=あなたらしさはこの世界の宝物。
世界を構成する大切な宝物のひとつとして、誰よりも「自分に遠慮せず」、必要以上に「恥入らず」、「だって世界がこの性(=さが・せい)を必要としているらしいじゃん(伝聞)、仕方ないじゃん」ぐらいでいきたいです。

ふたださとみでした。
今日のSFOタイトルは、

「らしさ」は宝物

でした。
SEOタイトルとSFOタイトルの違いはこちらです。
「主観と客観」、「カウンセラーブログ」を意識する練習をしています。

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