「〜してくれていたのに愛を感じました(棒読み)」と夫に伝えてみた結果
ヨーグルトの「パルテノ」が好きです、
ふたださとみです。
小学生の高学年の頃から、
わたしはドラマをよく見ていました。
教師びんびん物語
に始まり
東京ラブストーリー(再放送)
ロングバケーション
愛していると言ってくれ
ラブジェネレーション
神様、もう一度だけ
などなど。
キムタクとトヨエツと織田裕二。
その中では、
「愛している」「愛してなきゃこんなこと…」などと「愛」が普通に叫ばれていました。
ちょうど、第二次性徴を迎えていた
クラスメイト同士の間では、
場面によっては、
もうドキドキしすぎて処理しきれないし、
っていうかよく分からないことだらけだし、
他の人との違いが見えてきて不安だし、
えっわたし達もドラマで見たあんな感じになるの?えっなりたい!好かれたい!、
その他、色々な気持ちがほぼ全部恥ずかしさに変換されました。
さらに、そうしたドラマを親と一緒に観た時の、親の反応。わたしの場合、愛のドラマを前にした、自分の親から伝わってくる「苦々しさ」を全部引き継ぎ…
あ、わたしの両親の「ロマンス」は、わたしが物心ついた時には既に、タイムカプセルに丁寧に入れられて、家の庭に埋められていたのでした。あくまでわたしから見て。
タイムカプセルというのがミソです。ふふ。
これはまた別の話。
そんなこんなで、
恥ずかしさと苦々しさが詰まっていることば、「愛」。
そこに親密感への怖れなども加えて、
混ぜて焼いた結果、
本心から口に出して言うなんてとんでもねぇ
という価値観が出来上がりました。
一方で、言ってみたくもあるという気持ちもあったため、「愛」には必ず(笑)をつけて何とかごまかそうとしていました。
「愛、なーんて(笑)」。
そして30代の今のわたし。
相変わらず、「愛(笑)」という時もあるのですが、そこから少し変化(もしかして退化?)して、「愛(棒読み)」になってきたのでした。
棒読みということは、まだまだ何らかの感情にフタをしていますわね。まあそれはそれでいいのよ、わたし。と、逃げとも捉えられる姿勢でいたのですが、
ある日。
帰宅すると、わたしのスリッパが綺麗に揃えられて履きやすいように置いてありました。
夫がそうしたようです。
おおー。
うれしいー。
そこで、
「今日帰ってきた時、玄関のわたしのスリッパが揃えられていたの、愛を感じたよ(棒読み)」
と言ってみたら。
その日から、結構いつもスリッパが揃えられている!!
ええー
こんなことになるんだー
ええー
やっぱり恥ずかしいなー
ええー
どうしよー
ちょっと怖いのでこれ以上はわたし…
というか自分で揃えなよね。脱ぐ時にね。
でも、「愛」と、口に出す時の感じが、
少しだけ前とは違ってきたような気がします。
当社比。
退職の時にもらったメッセージは、もうみんなからの「愛」としか言いようがなかったし、カウンセラーのお弟子さん仲間のこれまでの色々な話を聞いていても、「愛」としか言いようがないし。
罪悪感や恥を超えて、思う存分「愛」と言いたいがために色々なことが起こるんだね。
この後どうなるかな。
さすがにこんな風には投げ飛ばして出かけてない。
“「〜してくれていたのに愛を感じました(棒読み)」と夫に伝えてみた結果” に対して1件のコメントがあります。