こじらせ女子の恋、自己完結

タイトルのこじらせ女子とはわたしのことです。
ふたださとみです。


今でこそ、「そんな風に感じない」と友人に言われることもありますが、

わたしは結構こじらせていました。



と書いたものの、

こじらせの定義が今ひとつ自分では定まらないのですが(調べれば調べるほど「こじらせ」の概念は幅広い模様)、

とにかく、自分では「引きこもり型のこじらせ女子」だったと思っていて、もう、恋愛の80%ぐらいがファンタジーで終了していました。



例えば、同じ職場にいた好きな人が「毎週水曜日の夕方は早めに帰っていく」というだけで、

ふただ(20代)

水曜日は彼女とデートの日なのかな。何か、帰る足取りも軽く見えるし、きっとそうだ。

という感じ。

そこに至るまでに「彼は、水曜日は大体この時間に帰っていく」というデータを密かに収集しているあたりも…(恋愛あるある?)。


はたまた、彼の持ち物が少しでも新しいものに変わっていると、

ふただ(20代)

週末、彼女と買い物に行って買ったのかな。いや、それとも彼女からのプレゼントかも。きっとそうだ。

これも恋愛あるあるかな…。

ただ、こんな風に思っても、

それは頭の片隅に留めておくぐらいにして、

目の前のリアルな彼と関わることができれば、

また違う展開だったかもしれません。

とにかく、密かにデータを収集し、

偏った切り口で切って決めつけ、

勝手に自己完結です。

なので、そんな彼からメールが来ると、

ふただ(20代)

このままだと浮気相手にされる。もうこの恋も終わりだ。(そもそも始まってない)

これでは始まるかもしれないものは始まらないし、

もともと始まらないものは全く始まらないです(そりゃそうだ)。

さらに、終わらないかもしれなかった恋が終わったり(それも含めてご縁なのかもしれませんが…)。

それを繰り返す理由を、

今は師と仰ぐカウンセラーさんのカウンセリングのおかげで

少しずつ気づいていったのですが、とにかく当時のわたしとしては、

ふただ(20代)

恋愛、怖い。

ですね。

傷つくのが怖い。

親密感への怖れ。

「恋愛がうまくいかないことと自分の価値が直結」していたので、

恋が上手くいかなくなりそうになるだけで、感じたくない感情がたくさん出てきて、

それが嫌。

ご飯が食べられなくなるぐらいの恋をして分かることもたくさんあると思うのですが、そこまでにいく手前の段階でもう怖い。

はい終わり終わり、となっていました。




でも、怖さゆえの恩恵も、今になってみればあると思えるのです。


「密かにデータを収集」という言い方を上ではしていますが、怖さのおかげで、じっとりと観察をする癖があります。髪型の変化も、持ち物の変化も、気になったものはずっと見ています。その「じっとり」が、絶対的に良いことなのかどうかは置いておいても、「えっ、そこに気づいてくれたの?嬉しい」と身近な人や仕事で関わる
方に時々言ってもらえることにつながっていたと思います。


そして、その「じっとり観察データ」の収集後の解釈については、

究極的には、「自分」のことをどう捉えているか、が

大きく関わってくると思うのですが、

ふただ(30代)

何があっても、「わたしはわたし」、そのままで価値があるんだよ…ね、、

と少しずつ思えるようになってきてからは、

自己完結が減ったのかな、と思います。

自己完結しなくてもよくなった。

相手の状況や展開が前よりは怖くなくなったように思います。




次回に続きます。
ふたださとみでした。

「それはそれでかわいかった、わたし」と今は思っています。

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