こじらせ女子の恋、その世界
豚しゃぶ&酢豚の、豚豚夕食を作りました。
ふたださとみです。
こじらせ女子の世界って何だ。
前回、こじらせ女子(ここではわたしの話です)の恋がごとごとく自己完結しがちで、
妄想・ファンタジーの中に生きていたという話を書きました。
今回は続きと言いつつ、印象的なエピソードを思い出したので、それを振り返ってみます。
前回は、
何も起こっていないのに悪いほうにばかり考えて落ち込んだ思い出を書きましたが、
その逆の、
何も進展していないのに上手くいきそうな気がして、1人で楽しくなっている日とかもあったなあ。
それ自体は、恋愛あるあるで、そして恋愛の醍醐味のひとつで、よくある話だと思う。
そして、大切なのはその先…。
その先で、「目の前にいるリアルな相手とどのように関わるか/向き合うか」…。
あまりに自己完結しすぎたり、とにかくリアルな現実が「怖い」ばっかりだと、
相手のことは見ているようで見ていない自分。
好きな人の言動が全部、わたしの心を揺らしてくるんですけど(苦しい意味で)。
「好きな人の言動がわたしの心を揺らしてくるように思える」のに、
その実、
「相手のことをよく見ていなかった」とは…?
そんな日々を過ごしていたある時、
忘れられないありがたい言葉、
究極に優しくて究極に冷静な言葉を、
好きな人に投げかけられた。
わたしの質問に、質問というか、「〜だと思うから、〜なのかなと思うんだけどどう?」という自分の妄想の確認投げかけ(…書いていて辛い)に対する彼の言葉。
君がそう思うなら、そうなんじゃない?(冷たい口調で)
「君がそう思うなら、そうなんじゃない? 」?「君がそう思うならそうなんじゃない?」?(頭の中でエコーがかかっている)
これは、
当時のわたしが期待していた答えとは全く違って、
わたしは「そうだよ」って言って欲しかったのですが(泣)、
っていうか男性に対する「そうだよ」って言って欲しい質問には大抵「そうだよ」って返ってこないですよね、…あれ、わたしだけ?
この言葉、
君がそう思うなら、(君の世界では)そうなんじゃない?
という意味だったのではないかと。
それはもしかして、投&影(勉強すればするほど奥が深いので素直に書けなくなってきている今日この頃)。
巨大な鏡で全部映し返していただきました、という感じ。
「彼の世界ではそうじゃないかもしれないんだよ」という事実も同時に明らかに。
相手のことを見ているようで見ていない、と…?。
(ちなみにこうして考えていくと、前回のわたしの妄想のひとつであった、「彼はわたしを浮気相手にするかも」は、つまり「わたしはわたしのことを浮気相手にされるような人だと思っているということ」、になるのかな)
当時はこのように捉えていなかったとはいえ、
彼のその言葉で、
相手のことを見ていないのは何となく分かった。
でも、見るのは怖いのだ。
怖いから見ることができないのだ。
そして、仕事も趣味も、それなりに楽しいけど、時々漠然と辛い。結構色々頑張っているつもりなのに、という気持ちでカウンセリングを受け始めてから数年。
自分のことを、見てみたら色々発見があった。そして「わたし」のそのままの価値が感じられてきたから、前よりは怖くなくなった。
自分がこの世界をどう捉えているか。
自分にとっての当たり前は何か。
そしてそれは他の人にとっても常に当たり前なのか、いや違う(反語)。
自分は自分のことをどう捉えているか。
自分のことをどんな女性だと思っているか。
自分の中にはどんな気持ちが冷凍保存されているか。
何がきっかけでそれが解凍されて出てくるか。
その気持ちのルーツは何か。自分の…(続)。
今も少し怖いのは怖いけれど、
カウンセリングや周囲の人のおかげで、
こじらせていてもこじらせていなくても、色々考えているわたし、かわいいわ。「夫のこと好きだから色々と考えてしまう…。なんか恥ずかしいな」と考えているだけでも、もう愛しい。実際まだそれを相手に言えないが、それもかわいい。
という感じになりました。
まだ色々なトライは続いています。
ふたださとみでした。
ふただ(30代・眼鏡男子好きは変わらず)
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